高木背水(誠一/1877–1943)は、現在の佐賀市松原に生まれ、鍋島邸の玄関書生として勤めながら絵の道を志しました。まさに「背水の陣」の覚悟で画家を目指し、渡米・渡英して研鑽を重ねた後、大正期には明治天皇の肖像を謹写するという栄誉を受けました。
長楽館創設者・村井吉兵衛とは、村井の母の肖像を描いたことを契機に親交を深め、村井の海外渡航に通訳として同行したほか、令嬢の肖像も手がけています。
村井は高木の活動を資金面でも支援し、ロンドンへの洋行や帝国ホテルでの開催した個展を後援するなど、深い信頼関係を築いていました。
写真出典:直木友次良 編『高木背水伝』,大肥前社,1941.(国立国会図書館デジタルコレクションより)
長楽館1階の「迎賓の間」には、竣工当初より西洋画家・高木背水による12枚の西洋画が飾られています。フランス製キャンバスに描かれ、額縁式の華やかな装飾が施されたこれらの絵画には、世界各地の名所が題材として選ばれています。画題は、「日本・東京、皇居二重橋」「中国・北京、天壇」「アメリカ・ニューヨーク、自由の女神」「ミャンマー・パゴダ」「エジプト・カイロの廃墟とピラミッド」「スイス・ローザンヌの湖」「イギリス・ケンブリッジ」「ロシア・モスクワ、クレムリン付近」「イタリア・ヴェネツィア、政庁」「フランス・パリ、ヴェルサイユ宮殿の庭園」「ドイツ・ポツダム、サンスーシ宮殿」など、多彩を極めます。多くは当時の名画をもとに制作されたとされ、遠く離れた日本の地で、自国の風景を目にした外国の賓客たちは、さぞ心安らぐ思いを抱いたことでしょう。これらの絵画には、国際的な感性とともに、長楽館創設者・村井吉兵衛の温かなもてなしの心が映し出されています。
明治時代の実業家であり文化人でもあった村井吉兵衛は、国内外の優れた芸術品を積極的に収集していたと伝えられています。なかでも高木背水には、「作品が出来上がったらいつでも持ってきなさい」と声をかけていたといい、単に美術品を手元に置きたいという以上に、将来の文化を担う才能を支え育てたいという思いがあったことがうかがえます。惜しくも村井の死後、こうした貴重なコレクションの多くは散逸し、海外に流出したものも少なくないとされますが、その文化育成への志は、今なお長楽館の精神として大切に受け継がれています。