SEASONAL
JOURNAL
SPRING 2025

長楽館を訪れた人々 長楽館を訪れた人々

CHOURAKUKAN LEGACY

装飾

長楽館 115年の迎賓録 -たばこ王が築いた社交舞台-

2025年2月22日(土)より3月20日(祝木)までの約1か月間、長楽館の2階では特別展示を行います。
長楽館をご利用の方はどなたでもご覧いただけます。 明治・大正期に長楽館を訪れた人々の名が連なる芳名帳をはじめ、村井吉兵衛のおもてなしに対する書簡や、当時村井家のもてなしに使用されていたカトラリーやグラス、そして、村井吉兵衛が生み出した両切紙巻煙草「HERO」のパッケージ等、村井吉兵衛の軌跡を感じていただける史料を期間限定で展示いたします。
ここ長楽館に刻まれた100年以上の歴史をどうぞご堪能ください。
芳名帳 芳名帳
Feature 1
100年の時を経て、芳名帳が初の里帰り

この度、明治・大正時代の長楽館芳名帳(個人蔵)が、初めて長楽館で特別公開されます。
1909年5月27日京都日出新聞(現・京都新聞の前身)には「突然北白川宮両殿下御立寄の光榮を荷ひ且つ今回は伊、井両元老を始め朝野知名の士を招待し斯く滞りなく盛宴を開き得たるを深かく喜び紀年の爲め美事なる芳名録を製し来賓一同に一々自署を請ひたり」と記載があります。
「伊、井両元老」とは、伊藤博文と井上馨のこと。そして、「芳名録」こそが、今回展示する芳名帳と考えられています。
「美事(みごと)なる芳名録」と書かれている通り、厚みある和紙が美しく織られた裂地に包まれた重厚感ある作りです。思い思いに様々な筆跡で描かれた署名。当時の長楽館を訪れた方にサインを求める村井の姿が目に浮かぶようです。

北白川宮両殿下のご来臨 北白川宮両殿下のご来臨
Feature 2
北白川宮両殿下のご来臨

明治時代の芳名帳の1ページ目は北白川宮両殿下のご来臨より始まります。
明治42年5月23日、京都を訪れた北白川宮両殿下は長楽館へと立ち寄り、村井夫妻の歓待を受けられました。その際、村井吉兵衛夫妻は府知事と共に、両殿下の陪食の栄誉にあずかったそうです。

Feature 3
公爵 伊藤博文のご来泊

そして次のページでは、伊藤博文、井上馨、そして明治時代の重鎮の名前が連なります。明治42年5月25日から27日の3日間、伊藤博文は故木戸孝允の墓参のために、村井吉兵衛の別荘 長楽館に来泊しました。そして、27日には、井上馨や杉子爵、渡辺子爵をはじめ名士を招いてお昼の宴を催しました。長楽館という名前は伊藤博文によって命名されましたが、現在、館の中央にあたる中2階の旧喫煙室の入口に掛る「長楽館」の扁額が揮毫されたのは、この滞在時のことでした。
村井はその命名を大変喜び、自らの雅号も「長楽」にしたそうです。

Feature 4
大正天皇御大典 ロシア・イタリア特派大使のご滞在

大正4(1915)年に京都で行われた大正天皇の御大典では、長楽館は特派大使の宿泊施設となり、ロシアとイタリアの2ヵ国の特派大使が滞在されました。ロシアからは特派大使ニコラス・マレヴスキー=マレウイッチ氏、イタリアからは特派大使グイッチョリ夫妻が滞在され、村井夫妻はその歓待にあたったそうです。
今回の展示では、その滞在に対する大使らの感想を和訳してまとめた資料を展示いたします。その和訳が書かれた用紙には村井家の家紋(丸に三柏)と「村井長楽館用箋」と書かれており、オリジナルで作られていたことがわかります。

画像:村井宇野子著「宇野花」